翻訳についての議論


2件のコメント

  1. CacheのAssociativityを連想度と訳すのは止めよう。(天野)

    Associativeは、連想と訳すのが一般的だが日本語の意味とかなり離れているように思う。「連想」という言葉は日本語においては、人間の心のある程度高級な働きを指し、曖昧性を伴う。「雲」という言葉から連想することは何ですか?といわれると、綿菓子やら雨やら人によって様々であろう。これに対して、cacheなどで出てくるset associativeなどのassociativeは決定的で単純な「関連付け」であり、「連想」という言葉からかけ離れている。このため、本書の訳ではセットアソシアティブとカタカナ表記している。associativityについてはウェイ数としている。「連想度」と言ってもほとんどの学生は理解してくれないが、「ウェイ数」と言えばわかってくれる。コンピュータ分野ではassociativeを連想と訳すのは止めた方がいいと思う。連想メモリも曖昧検索を行うものは別として、単なるContent addressable memoryにこの言葉を使うのは止めよう。

  2. branch predication, predication register, predicated instructionのpredicateを述語と訳すのは止めよう(天野)

    branch predicationはpredicate registerの値に応じて動作を変更するpredicated instructionによって分岐命令を取り除くことで、制御ハザードに関連する問題を無くす方法であるが、predicateがうまく訳せない。辞書で引くと述語と出てくるし、predicate logicを述語論理と訳するのは定着しているので、つい述語レジスタとか訳してしまいそうだが、これだと全く意味がわからない。日本人のほとんどにとって「述語」は、国語の時間に習った「主語」「述語」の「述語」であり、それ以外の意味はないだろう。predicateには「結果の必要条件として含む」という意味があり、プレディケートレジスタは、この意味で使われているようだが、この使い方はメジャーではない。条件設定レジスタなどと意訳してもよかったが、本書ではプレディケートとカタカナにしてある。セットアソシアティブもそうだが、カタカナが増えて申し訳ない。しかし、コンピュータ分野では、predicateを述語と訳すのは止めた方がいいと思う。

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